【世界史の教室から】 年老いて「名を虎榜に連ね」た詹義に学ぶ。
高等学校で歴史総合と世界史探究を教えている、この春小学生になる年長組幼稚園児の子育てパパ、AKSです。
生徒に年齢を聞かれると、時々「〇〇年前は君達と同い年だったなあ」などとユーモア(「○○○ギャグ」?)で返すのですが、年々、この○○に入る数字が増えていって、ついに先月から「35」になってしまいました。
実は、この話には元ネタがあって、宋の詹義(せんぎ)という官僚・詩人の逸話にならったものです。
詹義(または詹文)は、南宋時代の文人で、科挙に何十年も挑戦し続けた末、73歳という高齢でようやく合格し官僚になりました。
彼の代表作「登科後解嘲」は、その遅すぎる成功を自嘲的に、しかし軽やかに描いたものです。
(『宋詩紀事』巻五八が『清夜録』を引いてこの詩の作者を詹義とし、紹熙元年(1190年)の進士と注記していますが、『鶴林玉露』、漢程網詩詞庫などの文献は詹文の作としています。現存する宋代史料では詹文の生平記録が少なく、詹義は『紹興十八年同年小録』に明確に登場するため、二者が同一人物かどうかは未だ定論がありません。)
登科後解嘲
詹義読尽詩書五六担
— 「登科后解嘲」(作者:詹文 / 詹義、宋代)
老来方得一青衫
佳人問我年多少
五十年前二十三
出典: 百度百科「登科后解嘲」(最終アクセス: 2026年2月8日)
現代語訳
詩書を五六担(数百キロ分)も読み尽くしたのに、
年を取ってようやく青い官服(下級官吏の服)を得た。
佳人(女性)に『あなた今いくつ?』と聞かれたら、
『五十年前は二十三歳だった』と答える。
学生時代にこの詩を読んだとき、「五十年前二十三」というところが、李白の「山中与幽人対酌」に出てくる「一杯一杯復一杯」に似ている気がして、印象に残りました。
宋代の科挙は過酷で、合格率は極めて低く、何十年も挑戦して白髪になる「老進士」が珍しくなかったといいます。
この詩は、そんな現実を象徴する一篇として、読み継がれてきました。
史料では紹熙元年(1190年)の進士として詹義(または詹文)の名が記録されており、高齢合格の典型例として後世に語り継がれています。
隋唐で始まり、宋代に完成した科挙は、倍率が数百倍にもなることがあったとされる大変な難関でした。
架空のお話で唐代が舞台ですが、高校生なら現代文で必ず習う中島敦の『山月記』では、主人公の李徴が冒頭で
天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられた
— 中島敦『山月記』(青空文庫版より、https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html、最終アクセス: 2026年2月8日)
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とあります。これはつまり、若くして科挙(進士科)に合格(虎榜=合格者リストに名を連ねる)し、すぐに地方の官吏(江南尉)に任命されたという意味です。物語の一行目で「科挙に合格!」とさらっと出てくるのですが、当時の唐代ではこれがもうそれだけで凄いことなのです。科挙は極めて難関で、合格すれば一気にエリート街道まっしぐら。まさに「春風得意馬蹄疾」のような喜びの象徴です。
宋代になると皇帝自らが最終試験を行う「殿試」が導入されたことが、世界史の教科書にも書かれています。
詹義も皇帝の前で試験に臨んだのでしょうか。
1190年当時の皇帝は、調べてみると当時47歳の光宗です。
もしかしたら、殿試には進んでいないかもしれません。
教科書では触れられていない制度ですが、宋代からはじまった制度として他に「特奏名」があります。
これは、何度も及第点を取ったものの正規合格できなかった高齢の受験者を、特例で合格させるという仕組みです。
特奏名合格者は主に下級官職に就くことが多く、栄達は難しかったものの、生涯の努力が報われる救済措置でした。
何度も科挙に挑戦したが合格できず、73歳で進士(合格者)となった詹義は、この「特奏名」であったかもしれません。
それにしても、73歳まで学び続けて科挙に何度も挑戦し、ついに官僚になったというエピソードは、以前はただの笑い話だと思っていました。
申し訳ない。
でも、50代になった今、詹義とこのエピソードから、勇気をもらえるようになりました。
時代は12世紀ですから、73歳まで健康でいられたこともすごいですし、その上、学び続けたなんて、すごいですよね。
いや、それどころか、詹義は73歳で合格したわけですから、そこから官僚としての人生を始めたわけで、73歳から新しい人生を切り拓いたわけです。
年老いて「名を虎榜に連ね」た詹義を、今では心から尊敬するようになりました。
私も詹義にならい、長く健康でいられるように努力し、年老いても学び続けて、新しいことに挑戦し、誰かに年齢を聞かれたら「五十年前は初任者だったよ」とユーモアを言って笑い飛ばしてみたいですね。
余談
「名を虎榜に連ね」が、科挙に合格するという意味だと習ったのは、世界史の授業ではなく、高校2年生の国語『山月記』の授業でした。
『山月記』は、珠玉の名作揃いだった高校国語の授業の中でも、最も印象に残っている作品です。
山月記では、若くして「名を虎榜に連ね」た李徴が、その後、虎になってしまうわけですが、若くして科挙に合格するのも、虎になるのも、常人には理解できない領域です。
科挙合格者といえば、山月記にはもう一人、袁傪という、李徴と同じく若くして科挙に合格し、エリート官僚となり、終盤で友人である李徴の詩を書き取って李徴の心を救う素晴らしい登場人物がいるのですが、この人の話は別の機会にしましょう。
一方、73歳まで努力を重ね、年老いて「名を虎榜に連ね」た詹義は、小説の主人公としては華がない人物かもしれませんが、私たちに勇気を与えてくれるのは、詹義の人生の方かもしれませんね。