皋魚の3つの失敗
— 51歳を前にして

2025年も残すところ50日弱となり、2026年の準備を始めないといけないなと考えるようになりました。

今年私は50歳になったのですが、準備をして臨んだこともあり、良い50歳になったと思っています。

2026年には51歳になるので、また、準備をしたいと思っています。

51歳を前にして、考えることはいろいろあるのですが、行動指針を立てるにあたり、「皋魚(こうぎょ)の3つの失敗」について考えてみたいと思います。

「皋魚の3つの失敗」とは

「皋魚の3つの失敗」は、前漢の韓嬰が著した『韓詩外伝』に出てくる逸話です。韓嬰も『韓詩外伝』も、残念ながら高校世界史には出てきませんが、漢文では扱うことがあるのかもしれません。

韓嬰は、燕の出身です。張飛と同じですね。私は新潟県燕市出身なので、燕出身の人物には、勝手に親近感があるのです(笑)。

韓嬰は『漢書』儒林伝によると前漢の文帝、景帝、武帝に仕えました。武帝の前で董仲舒と論争をした記録が残っており、韓嬰の説くところが明晰であったので、董仲舒は反論できなかったというエピソードで知られています。

『韓詩外伝』は、韓嬰がさまざまな事柄や故事を記し、関連する『詩経』の文句を引いて説明したもので、説話集に近いものです。内容がとても面白いので、書写されて書き継がれ、現在まで伝わったものです。

それでは、「皋魚の3つの失敗」を読んでいきます。

出典は、こちら。

原文(韓詩外伝 巻第九)

孔子出,聞哭聲甚悲。
孔子曰:「驅之驅之!前有賢者。」
至則皋魚也,被褐擁鎌,哭於道旁。
孔子辟車與之言,曰:「子非有喪,何哭之悲也?」
皋魚曰:「吾失之三矣。
少而好學,周游諸侯,以歿吾親,失之一也。
高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。
與友厚而中絕之,失之三矣。
夫樹欲靜而風不止,
子欲養而親不待,
往而不可追者年也,
去而不可得見者親也。
吾請從此辭矣。」
立槁而死。
孔子曰:「弟子識之,足以誡矣。」於是門人辭歸而養親者十有三人。

韓詩外傳/卷第9 - 维基文库,自由的图书馆
https://zh.wikisource.org/wiki/韓詩外傳/巻第9
韓嬰.『韓詩外伝』巻第九.ウィキソース(中文).(参照 2025年11月16日)。

日本語訳

孔子出,聞哭聲甚悲。

孔子が外出中、非常に悲しい泣き声を聞いた。

孔子曰:「驅之驅之!前有賢者。」

孔子は言った。「急げ急げ!前には賢者がいる。」

至則皋魚也,被褐擁鎌,哭於道旁。

着いてみると、皋魚という者が粗末な服を着て、鎌を抱え、道ばたで泣いていた。

孔子辟車與之言,曰:「子非有喪,何哭之悲也?」

孔子は車を寄せて話しかけた。「あなたは喪に服しているわけではないのに、なぜそんなに悲しむのか?」

さすが孔子先生。「孔子辟車與之言」とあるので、馬車のような移動手段を使っていて、そこから話しかけたとあります。弟子も同行しているようですね。続けましょう。ここからが本題です。

皋魚曰:「吾失之三矣。

皋魚は答えた。「私は三つの過ちを犯しました。

少而好學,周游諸侯,以歿吾親,失之一也。

若くして学問を好み、諸国を旅して親の死に目に会えなかった。これが一つ。

高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。

私の志を気高くし、自分の取り組むことを選りすぐり、凡庸な君主には仕えず、そして事をなすのが遅れて、ついに何一つ成し遂げなかった。誤っていた点の二つ目である。

與友厚而中絕之,失之三矣。

友と親しくしていたが、途中で絶った。これが三つ。

ストップ。

さて、皋魚が孔子の問に答えたこの場面ですが、若い頃に、問題集だったか、別の何かだったかで目にして、強く私の印象に残った場面なのです。どうして印象に残ったかというと、論語や儒学の文献ではあまり表に出てこない、「無常感」や「諦観」のようなものを感じたからです。

皋魚が言う3つの過ちを一つずつ見てみます。

一つ目

少而好學,周游諸侯,以歿吾親,失之一也。

若くして学問を好み、諸国を旅して親の死に目に会えなかった。

二つ目

高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。

私の志を気高くし、自分の取り組むことを選りすぐり、凡庸な君主には仕えず、そして事をなすのが遅れて、ついに何一つ成し遂げなかった。誤っていた点の二つ目である。

三つ目

與友厚而中絕之,失之三矣。

友と親しくしていたが、途中で絶った。これが三つ。

切ないですね。

夫樹欲靜而風不止,

木は静かにしたいが風は止まず、

子欲養而親不待,

子は親を養いたいが親は待ってくれない。

往而不可追者年也,

過ぎ去って取り戻せないのは「年月」、

去而不可得見者親也。

去って二度と会えないのは「親」である。

吾請從此辭矣。」

私はもうこの世を去ります。」

立槁而死。

立ち尽くしたまま枯れるように死んだ。

孔子曰:「弟子識之,足以誡矣。」於是門人辭歸而養親者十有三人。

孔子は言った。「弟子たちよ、これを心に刻め。これで十分な戒めだ。」その後、帰郷して親を養う弟子が13人も出た。

若い頃は、ふうん、というか、全然、感銘を受けなかったのですが、50歳になり、この文章が、最近、頭に浮かぶようになりました。歳ですね(笑)。

この台詞によると、皋魚は「(少而好學)若くして学問を好んだ」し、「(周游諸侯)諸国を旅した」のです。これは、儒学でも、そのようにせよと勧めていることだと思います。

私自身も、歴史や教育学を好んできたつもりですし、20カ国以上を旅し、故郷を離れて働いてもいます。ところが、直後に、「(以歿吾親)親の死に目に会えなかった」というフレーズがきます。親孝行は、儒学の教えの一丁目一番地です。親の死に目に会えないと言うのは、大きな過ちということになります。

一つ目

少而好學,周游諸侯,以歿吾親,失之一也。

若くして学問を好み、諸国を旅して親の死に目に会えなかった。

この「少而好學,周游諸侯,以歿吾親」のわずか十二文字。皋魚は哲学者として、孔子の教えに対決している、とみることもできそうです。実際に、この場面で孔子は「驅之驅之!前有賢者。」と言い、皋魚を「賢者」と承知して、皋魚に近づいています。

つまり、「あなたのいう通りに学を好み、諸国を遊学したが、そのせいで親の死に目に会えなかった。」というように読めるのです。

私は故郷の新潟を離れていますが、新幹線もありますし、何かあればすぐに戻れるつもりです。まあ、それだけではなくて、孫の顔を見せることだったり、親が元気なうちに、できることをしておかなければなあということを、51歳を目前に控えたいま、この言葉から感じているところです。

2つ目

高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。
私の志を気高くし、自分の取り組むことを選りすぐり、凡庸な君主には仕えず、そして事をなすのが遅れて、ついに何一つ成し遂げなかった。誤っていた点の二つ目である。

これも、前と同じ構造です。「高尚吾志,簡吾事,不事庸君」(私の志を気高くし、自分の取り組むことを選りすぐり、凡庸な君主には仕えず)は儒学の教えの通りです。ところが、直後に、「而晚事無成」(ついに何一つ成し遂げなかった。)と言っています。

これは、孔子の人生についても言えることかもしれません。1つ目の言葉と合わせると、ますます、孔子の面前で、孔子の哲学と対決しているように思えてきます。

私自身、30代や40代の頃は、もっと自分を高めて、働きがいのある職場(学校)に行きたいと考えていました。34歳の時に、退職を決断し、東京に出てきた話は以前にも書きました。

それからも、世界史を学ぶ意欲のある生徒に世界史を教えたい、もっと良い授業をしたい、と考えて、何度かの異動をしてきました。しかし、いつまでも人生が続くわけではなく、いつまでもより良い場所を目指してばかりいられない。50代になり、ここに書かれていることの意味が、ぐっと重みを持って感じられるようになりました。耳が痛いですね。自分は何かを為せただろうか。今目の前にある勤務先、目の前にいる生徒のために、最善を尽くしたいと思います。

三つ目

與友厚而中絕之,失之三矣。
友と親しくしていたが、途中で関係が途絶えた(疎遠になった)。これが三つ。切ないですね。

私の愛読書、中島敦『山月記』の救いは、李徴の思いや詩を、袁傪が聞いてくれたり、書き取ってくれたりするラストにあります。李徴が、俺は虎だが今から詩を読むぞ、というと、袁傪が、書き取る、だけでなく、部下にも書き取らせるんですよ。そして、論評する。比類なき、厚い友情です。

私が李徴だとして、袁傪はいてくれるだろうか。私が虎になったとき、私に向きあい、詩を書き留めてくれるほどの友がいるだろうか。袁傪を友人として持っただけで、李徴は幸せです。私もあらためて、古くからの友人を大切にしたいと思います。

『論語』との対比

さて、この逸話ですが、『論語』の冒頭の有名な漢文に対する、オマージュというか、哲学的対決になっているように思います。

子曰。
「学而時習之。不亦説乎。
有朋自遠方来。不亦楽乎。
人不知而不慍。不亦君子乎。」

「学而時習之。不亦説乎。」に対して、

少而好學,周游諸侯,以歿吾親,失之一也。

「人不知而不慍。不亦君子乎。」に対して、

高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。

「有朋自遠方来。不亦楽乎。」に対して、

與友厚而中絕之,失之三矣。

儒学が主張する理想主義に対する、諦観や批判が、このエピソードには、込められている気がしてなりません。

続き

夫樹欲靜而風不止,
子欲養而親不待,
往而不可追者年也,
去而不可得見者親也。
吾請從此辭矣。」
木は静かにしたいが風は止まず、
子は親を養いたいが親は待ってくれない。
過ぎ去って取り戻せないのは「年月」、
去って二度と会えないのは「親」である。
私はもうこの世を去ります。」
立槁而死。
立ち尽くしたまま枯れるように死んだ。

この部分ですが、初めて読んだ頃は、何を言っているかわかりませんでした。いきなり死んだ?と思っていました。50代になった今、一文一文、一文字一文字が、重い、思いとなって、響くようになりました。この後、孔子が、参った、とばかりに、降参する様子も、今になって、わかるようになりました。

孔子曰:「弟子識之,足以誡矣。」於是門人辭歸而養親者十有三人。
孔子は言った。「弟子たちよ、これを心に刻め。これで十分な戒めだ。」
その後、帰郷して親を養う弟子が13人も出た。

若い頃は、ふうん、というか、全然、感銘を受けなかったのですが、50歳になり、この文章が、最近、頭に浮かぶようになりました。歳ですね(笑)。

51歳の今、このエピソードから

このエピソードは、私のこれからの、人生訓を、これでもかと言うほどに、語っていると感じます。

(1)学問や立身出世を第一にする時代は終わり、これからは両親や故郷を大切にする

(2)より高みに行きたいと願う時代は終わり、今たどり着いた場所で最善を尽くす。

(3)旧友を大切にする

という具合に、今、私がまさに直面している人生観の転換点を、端的に表しているように思うのです。

そういえば、孔子は、「50歳で天命を知る」と言っていますよね。この「50歳で天命を知る」、今までは、大袈裟なことを言うなあ、50歳になっても、天命なんてわからないだろうなあ、と思ってきました。

ですが、50歳になってみるとこれは、皋魚の言う2つ目の失敗に陥らないこと、つまり、「より高みに行きたいと願う時代は終わり、今たどり着いた場所で最善を尽くす。」ことを指しているように思えてきました。

『史記』も『三国志』もそうですが、若い頃に読んだ古典が、50代になって、自分の人生にとっての羅針盤のように感じます。